久々のエゴグラムで思い出した「私らしさ」を巡る葛藤

久しぶりにエゴグラムやってみた。

やったのはこのサイト。特にこだわりなく、検索していちばん上に出てきたところで。 

http://www.egogram-f.jp/seikaku/index.htm

タイプはCP、FC、ACが強く出てて、詳しい結果は以下のとおり。

1. 性格

理想を厳しく追及するタイプですが、残念な事に、なり振り構わない行動を取れない性格なのです。何か事を起したり、事を進めたりする時に、世間の評判や自分のライフ・スタイルを非常に気にする所が有ります。泥にまみれたり、仕事の鬼になったりする事が出来ないのです。仕事は大成功させたいし、自分の楽しみは捨てたくないし、他人には良く思われたいと云う、かなり欲張った願望を持つ傾向がありますので、現時点で何が一番重要なのか、ポイントを一つに絞り、それに向かって遮二無二、突撃する必要が有りそうなタイプです。



2. 恋愛・結婚

貴方が男で有っても、女で有っても、責任感は強いが、口喧しくて、我儘で、それで居ながら、物凄く気配りに細やかな所のある神経質なタイプです。結婚で幸せになれるかどうかは、一に相手との相性にかかっているでしょう。相手の配偶者として一番ピッタリのタイプは、優しい性格の、のんびり屋さんです。



3. 職業適性

気質特性から見て、才能次第では、芸能や芸術方面で活躍が期待出来そうです。企画や広告宣伝、報道出版関係なども向いていそうな性格です。文筆家なども良いでしょう。不向きな職業としては、警察官、刑務官などの治安関係公務員、軍人、宗教家などでしょう。



4. 対人関係

 1. 理想が高く責任感が強くて他人に厳しい。

 2. 我儘で自由奔放、表現力や想像力が優れていて感情の落差が激しい。

 3. 神経質で意外な程、他人を気にする性質、端的に云うと、イイ子になりたがり屋。

以上のように、相反する内容の性格特性を持っていますので、人付き合いでは、いかにバランスを取って行くかが問題でしょう。

残念なところが当たりすぎててなんか凹むわ。

私を知っている人がこれを見たらどんな感想を持つんだろうか。

もっと若い頃は、「私はこうありたい」という気持ちが強すぎて、こういう性格診断テスト系も回答がそっちに寄ってしまって、素の自分を反映したものではなかった。

そして、その「こうありたい私」にとっていちばんの鬼門だったのが、まさに「他人を気にする」「よく思われたい」という性質。そういう自分が大嫌いで、ことさら「マイペース」とか「人のことなんか気にしない胃タイプ」的な結果が出るように、半ば無意識に回答を調整してたなぁと、20年近くたった今となっては生暖かく思い返す今日この頃である。

そのとき自分に向き合わなかったということは、自分を変える努力をするチャンスを失ったことと同義でもあり、結局今でも同じテーマで悩んでるじゃん!という点に関しては、内心忸怩たるものがある。

ただ、少し年をとった今、もっと興味を持つのは、なんで「他人を気にすること、よく思われたいと思うこと」に対して、私がそこまでの負の感情を持っているのかということ。

というわけで、私にとっての「他人を気にすること」の意味をもう少し分解していくと、即座に出てくるのが「他人の機嫌をとること」という言葉なんだよな。。もう少し考えを進めていくうちに「見栄を張る」とか別の言葉も出てくるのだけど。。

真っ先に出てくる言葉=概念は、私にとってなにか強い意味を持つに違いない。そこをさらに掘り起こしたいけど、恐らく時間がかかるし長くなりすぎるのでまた次の機会に。

「ありがとう」の暗黒面

ここ数年、ずっとモヤモヤしていたことを言語化してくれて、思わず膝を叩きたくなる記事だった。

digital.asahi.com

とはいっても、コロナ禍の中で、リスクを背負って働いてくださっている方への感謝表明に関する是非の話ではないです。

後半の

意図的に感謝を強調することで、苦しい現状に甘んじることを強いるような場合もあります。

という箇所に覚えた「目鱗」的な感覚を、書き留めて残しておきたいと思う。

あるコミュニティで、幹事の役割を10年以上やっている。定期的にイベントを開催するのが前提となる集まりで、その責任者でもあるので、準備には毎回それなりの労力を割くことになる。

細かい状況説明は省くが、とにかく現状は、幹事グループの中でも私を含む特にコアなメンバが、負担を一身に背負っている。それ以外の人々は、幹事グループに属しているメンバでさえ、基本運営にはノータッチだ。自発的に声を上げて協力してくれることは皆無、幹事MLに意見を募ってもコアなメンバからしか返事は来ない、名指しで個人的に連絡をするとやっと意見が出てくる、といった調子。幹事ですらない普通のメンバなどは推して知るべし。

このような状況でずっとイベントを回してきて、事前調整やら時間管理やらのスキルだけは無駄に高くなり、イベントは限られた人数でもほぼ支障なく運営できるようになっ(てしまっ)た。こういう背景もあって、私がかかわるようになってからのイベントは、毎回いつも参加者から感謝の言葉と有益なご意見をいただいて、ハッピーなエンディングを迎えることができている。ありがたいことである。

問題は、これまで自分のパワーになっていたはずの参加者からの感謝や労いが、どんどん響かなくなってきてしまったこと。また自分自身がこのコミュニティに対して持っていた愛情とか、このイベントを開催する目的でもある、あるパフォーマンスそのものへの情熱が薄れてきてしまったこと。

もちろん、私自身も変化しているんだろうが、なんかモヤモヤする気持ちを持て余してたところに、この記事に出会い「ありがとうの暗黒面」という新たな概念を獲得したのだった。

有り体に言えば、「ありがとう」という言葉を鼻先にぶら下げられて走る馬のようであることを期待されてるのでは、と思うようになってしまったんだな。

もちろん、冷静に考えれば、私の周りの心優しき人たちが、自分が運営にかかわらなくていい状況を維持するためとまで考えて、意図的に感謝表明をしているとは思わない(そういう意味で計算高い人たちではない、と思う)。むしろ、率直に示してくれているであろう感謝の気持ちを、これまた素直に受け取れない自分にも自己嫌悪を抱いて落ち込んだりもする。

でも、感謝の言葉は惜しみなく浴びせられるけど、実際の負担は一向に減らないというこの状況が何年も続いて、かつこの先も変わる見込みが立たないという状況になると、「感謝の言葉やお菓子なんてくれなくてもいいから、その気持ちを少しでも<現状を打開するための行動>で示してくれ!」という気持ちになってくるだよね。いったん自身の限界点を超えてしまったら、行動の伴わない感謝の気持ちなんて何の腹の足しにもならないんです。

もちろん、私自身にも事態がここに至る前に、時間かけて後継を育ててこられなかったという問題はあり、そこは反省しなきゃならない。そして、参加者があってこその運営、参加してもらえることこそが最大の協力なのでは?という意見もあるだろうと思う。

だから、今さらこういう問題提起をして、相手に変わってもらおうor分かってもらおうとは思わない。どうにか私自身が気持ちに折り合いをつけてソフトランディングに持っていくしかない。

でも、こういうモヤモヤを抱え、少しでも考える機会を得た人間として、当事者には常に感謝を表明するとともに、「今直面している事態をよくするために」 自分ができることを行動で示すことの大事さを肝に銘じて、今後いろんなことにかかわっていこうと思っている次第。